5月19日から,北京に向けて本格的なマラソン合宿に入りました。この時期になると,一日一日が飛ぶように過ぎ,あっという間に6月半ばになったような気がします。このような世界大会の合宿では,私はほとんど合宿に張り付きます。そのため,他の選手の練習をみることができません。しかし,代表選手以外の状況というのは,監督はもちろん代表選手に意外と影響を及ぼすものです。
4月に入りトラックシーズンが始まりました。見慣れた大学のユニフォームから実業団チームのユニフォームに着替えた新入社員ランナーの姿をレースの中に見ると,こちらも新鮮な気分になります。と同時に,これで勢力図が変わるのか.....と思うのも事実。陸上界も常に動いているんだということを実感するときでもあります。
3月10日,尾方剛,佐藤敦之の2名が,北京オリンピック男子マラソン日本代表に決定しました。日頃から応援して頂いている皆様に心から感謝いたします。
1月27日に行われた中国山口駅伝で,今年度の駅伝シーズンが終わりました。それぞれの駅伝が終了すると,選手は,それぞれ違った目標に向かって本格的な取り組みを開始します。
2007年は,ニューイヤー駅伝2度目の優勝で幕を開けました。5区佐藤敦之選手の大逆転劇が勝負を決めました。2007年は,この「逆転」がキーワードとなりました。
12月2日(日)福岡国際マラソンを皮切りに,北京オリンピック男子マラソン代表を決める国内最終選考会が始まります。4年に一度の大会は,雲にさえぎられ青空が望めない,そんな何ともいえない雰囲気があります。
長く続いた暑さもようやくおさまり,季節が確実に歩を進めていると感じられるようになりました。そして,また確実に巡ってくるのが駅伝・マラソンシーズン。特に今年度は北京オリンピックのマラソン最終選考会がある,厳しいシーズンになります。
世界陸上男子マラソン、朝早くから応援していただき、ありがとうございました。尾方選手はメダルにこそ届きませんでしたが、精一杯走り切ることができました。レース後には,「感動した」「泣いてしまった」「よく頑張った」など、多くの言葉をいただき、やってきたことは伝わるのだなと、しみじみと思いました。また、日本男子マラソンチーム全員が、自国開催という責任とプライドを持ち、よく健闘しました。
8月25日(土),世界陸上大阪大会が、男子マラソンを皮切りに開幕します。オリンピックの前年ということもあり、高いレベルでの優勝争いが期待されます。
「エルニーニョ現象」という言葉は,すでに広く知られていますが,「ラニ-ニャ現象」というのは,初めて聞いたという人がほとんどではないでしょうか。「ラニ-ニャ現象」が起こる夏は,特に暑くなるとのことですが,今夏はどうなるのでしょうか。
時々,高地でもないニュージーランドでなぜ合宿をするのか,と聞かれることがあります。それは,練習環境が抜群で,集中して練習できるからです。そこで,今回はニュージーランドの自然環境について書いてみたいと思います。
8月に開催される大阪世界陸上から,北京オリンピックの選考会が始まります。アテネオリンピックの選考で,ものが喉を通らないという思いをしてから,もう4年弱経っているかと思うと,あらためて,月日の流れの速さを感じます。
いつも練習している太田川沿いのコースは,お花見スポットでもあります。今年の桜は,突然のみぞれに見舞われましたが,それでも咲いている期間が長いような気がします。桜を見る心境に影響を及ぼすのが,やはりチーム状態です。特に,新人選手が走れているかどうかが大きいものです。あそこが痛い,ここに違和感が,などで走れないとガックリです。桜を愛でる気にもなりません。ちょっと昔までそんな年が何年続いたことか。
3月12日,大阪世界陸上の代表選手が発表されました。 その日は,ちょうどアジアクロスカントリー選手権からの帰りで,成田に着くとすぐに発表を聞いた人から電話があり,尾方剛選手が選ばれたとのこと。 「あーよかった」と安堵したのでした。
3万人以上が参加した,第1回東京マラソン。優勝候補と期待されていた油谷選手は,無念のリタイアという結果に終わりました。右脚の痛みが直接の原因でした。アクシデントというのは,スポーツの世界ではよくあることです。でも,私は,ただ4日前から張りを感じていた部分が,レースの途中で痛み出したという,単純なことではないと思っています。
2月1日は定期人事異動の発令日。2月は別れと出会いの月なのです。
陸上部では,長くチームを引っ張ってきた内冨恭則主将,五十嵐範暁副主将が現役を引退します。また,数年ぶりの駅伝出場となった中国山口駅伝を最後に吉田行宏選手が,1年間チームを切り回した高下裕次マネージャーが現場を去り,会社とのパイプ役を担った宮脇裕二フロントマネージャーが異動することとなります。
1月6日から新年早々の合宿を,石垣島で行いました。2月4日別大マラソン(佐藤敦之),2月18日東京マラソン(油谷繁,沖野剛久),3月4日びわ湖毎日マラソン(梅木蔵雄)と大阪世界陸上の予選が続きます。世界を目指す選手たちにとっては,ホッとするどころか,これからが勝負なのです。
駅伝とマラソンの兼ね合いの難しさについては,再三述べてきたことですし,多くの指導者が悩むところだと思います。ニューイヤー駅伝前2週間,後1週間,都合3週間は駅伝の影響を受けることになります。また,駅伝というのはチームの成績がかかっているため,いくら,そこそこ走ればいいといっても,頑張らざるを得ないし,責任感の強い選手なら個人レース以上に頑張ってしまいます。そのことが,マラソンに大きな影響を与えてしまうことも少なくありません。
それで,何度も自らのマラソンを走る機会を失ってきたのが,佐藤敦之選手でした。ニューイヤー駅伝が終わってから,マスコミや陸上関係者からよく聞かれたのは,「佐藤君の疲れはどうですか?」ということです。
あけまして、おめでとうございます。
今年も、月2回のペースでショートメッセージを更新していきますので、よろしくお願いします。
2007年は、ニューイヤー駅伝で優勝し、チームにとって最高のスタートになりました。今回のチームは、2004年に優勝したときよりは、選手みんなが一皮むけたといった感じで、成熟したチームに仕上がっていました。ただし、今の駅伝は、ワールドクラスの外国人ランナーが次々と投入されるため、そんな外国人ランナーのいないチームはどうしても劣勢にたたされます。それでも、優勝できるチャンスは無きにしもあらず、と思っていました。というのも、先行されても、5、6、7区はどのチームにも負けないという自信があったからです。
福岡国際マラソンで,皇帝ゲブレシラシエが初めて日本のマラソンを走りました。レース前,マスコミ関係者から「尾方選手が優勝できる可能性はあるか」と聞かれ,私は「それはおとぎ話やファンタジーの世界だ」と答えました。実際彼の調子が悪かったからそう言ったわけではありません。例え,絶好調でも同じことを言いました。レース後,日本人選手たちは,ゲブレシラシエ選手の走りを「まるでジョギングのようだった」と言っていました。それくらい次元が違うのです。
駅伝シーズンが本格化してくると,流行り始めるのが風邪です。会社でもそこここで,咳の音が。故障と並んで,この風邪こそが駅伝の大敵なのです。せっかく1年間練習してきて,最も大事なニューイヤー駅伝の前に風邪をひいたら,1年の苦労も水の泡。ですから,風邪を引かないことが駅伝の大切なコンディショニングの一つになります。
街路樹や山の木々が色づき始める頃,私たちの駅伝シーズンが始まります。
大学では,既に10月9日に出雲全日本大学選抜駅伝が,21日には箱根駅伝の予選会が開催されました。もはや,初詣と同じくらいの国民行事となった箱根駅伝。予選会には初めて行きましたが,私たちの走っていた頃とは注目度が全く違いますね。各校の幟を担いだ人,ファン,OBなどの人,人,人。勝負の明暗も印象的でした。予選に落ちたときの虚無感,孤独感,無力感。私たちもニューイヤー駅伝の予選に落ちていた頃があるからわかります。でも,悔しいという気持ちを持ちあきらめなければ,負け続けることはありません。月並みだけど「頑張って!」とエールを送りたい。
私たちの駅伝初戦は,10月29日,広島県実業団駅伝です。この駅伝は新人を中心にメンバー編成します。自分たちで責任を持って駅伝をつくる。そして結果に責任を持つ。新人最初のステップです。
10月15日,北京国際マラソンで,新たな力が誕生しました。3位になった沖野剛久選手,5位の尾崎輝人選手です。新しい力といっても,2人とも中堅からベテランの域にはいろうかという選手です。沖野選手の際立った実績は,2005年青梅マラソン優勝です。しかし,ニューイヤー駅伝に出場したことはありません。尾崎選手は,ニューイヤー駅伝1区のスペシャリストといった存在ですが,決して目立った成績を残しているわけではありません。
9月24日、ベルリンマラソンが開催されました。野口みずき選手の欠場により、ゴールデンタイムの放送がなくなり、一気に国民の興味の圏外になってしまったベルリンマラソン。しかし、世界的な興味の的は、男子マラソンの世界記録更新プロジェクトという視点からでした。
8月1日から、若手を中心に新潟県の妙高高原で、マラソン組は北海道千歳市と二手に分かれて合宿を行いました。35℃を超えることが当たり前のようになってしまったこの時期は、少しでも涼しい場所を探して合宿を行うのですが、合宿地も年々暑くなってきているように感じます。ただし、今年の北海道は冷たい高気圧であるオホーツク高気圧が強いためか、暑い日はあるものの、北の大地を、木々の濃い緑の陰影を揺らしながら吹き抜けていく風は爽やかです。
さて、夏になると嫌でも意識しなければならないのが駅伝です。もちろん、ニューイヤー駅伝が終わった瞬間から、翌年の駅伝のことは考えているのですが、とりあえず夏までは、駅伝を直視しなくてすむ執行猶予期間なのです。
今年、来年と特に難しいのは、主力選手は大阪世界陸上、北京オリンピックへの出場権を獲得することに全力を傾注しなければならず、かといって、駅伝を軽視することもできないということです。ですから、主力選手頼みではなく今こそ若手が「チームを支えていくのは自分たちだ」という気概を持って欲しい。そして、そうした気概を持ってこの夏の合宿に取り組んで欲しいと思っています。
理屈でもなんでもない、「走って、走って、走りぬく」、これが夏の課題です。 (坂口泰)
世界中を熱狂させた、ワールドカップサッカー。ワールドクラスのプレーは本当にすごかった。残念ながら、日本代表は予選リーグ最下位という現実をつきつけられた大会になってしまいましたが。
ポストW杯で俄然注目を集めたのは、次期監督候補、イビチャ・オシム氏でした。私はこの騒動で初めて知ったのですが、その発言を新聞記事で見て、すごい指導者だと思いました。
オシム氏の日本代表再生論から抜粋してみます。「日本が世界王者になりたいのなら、別の監督を探すべきだ。日本代表が世界王者になれる保証などどこにもない。すべての国が勝つために努力している。そういう現実を見つめることが大切だ」、「今の日本代表はできるサッカーと、やろうとしているサッカーにギャップがありすぎる。みんながっかりする気持ちはわかるが、日本はW杯に出場できただけで満足すべきだった。なぜなら他の国も着実に力をつけているからだ」、「お金をつぎ込めばいいサッカーができるわけではない」、「オーストラリアは自分たちよりも強いチームがあるということを国民も知っている。『負けることもある』という心の準備を与えている。そういう考えをしている国は強い」、「足りないものを探すより、日本人特有のもの、自分たちの道を探すことが重要だ」。
そのとおりではないですか。そしてこれは、その他の競技スポーツにも当てはまることではないでしょうか。
私は、オシム氏の指導哲学の根本にある考え方の一つは「現実を見つめる」ということをではないかと思います。しかし、これは容易なことではありません。なぜなら、塩野七生氏が「ローマ人の物語」の中で、ジュリアス・シーザーの言葉として紹介しているように、「多くの人間は自分の見たい現実しか見ようとしない」からでしょう。
ともあれ、これからオシム監督がどんな言葉でサッカーを伝えてくれるのか楽しみになりました。 (坂口泰)
ロンドンマラソンで,マラソンシーズンは終わり,既にトラックシーズンの只中です。今年はどうやら涼しい日が多く,トレーニングには良いコンディションです。
ところが,気候同様,わが陸上競技部の競技成績もクールです。自己記録はおろか,5000mで13分台,10000mで28分台も出ていません。主力選手がマラソン後の休養であったり,故障であったりということもあるのですが,トレーニングを変えたのも一因だと考えています。
今は,年がら年中がシーズンだといえます。トラック,駅伝,マラソンと主力選手ほど充電する暇がありません。主力以外の選手にしても,同じようなトレーニングの繰り返しになりがちです。そこで,2月から4月にかけて,思い切ってインターバルトレーニングの量を減らしました。そのかわり,基礎体力強化のため,補強・サーキットトレーニングや,アップダウン走に重点を置きました。
6月からは,北海道サーキットが始まります。5月から,インターバルトレーニングなど実践的なトレーニングを取り入れてきているので,ここで,駅伝シーズンへの手ごたえがつかめればいいのですが...。 (坂口泰)
今年のロンドンマラソンは,「レース・オブ・センチュリー(世紀のレース)」といわれるほど,有力ランナーが集まりました。
皇帝ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア),アテネ五輪金メダリストステファノ・バルディ二(イタリア),世界選手権2連覇ジャウアド・ガリブ(モロッコ),元世界記録保持者ハリド・ハヌーシ(米国)ら2度と見ることができないであろうという顔ぶれでした。残念だったのは,世界記録保持者ポール・テルガト(ケニア)が故障のため,直前に欠場を発表したことでした。 (坂口泰)
4月9日、ロッテルダムマラソンがありました。当社からは梅木蔵雄選手が出場し、2時間11分31秒、セカンドベストタイムで11位でした。強風の中でのレースとしては、大健闘といっていいタイムです。ところがトップは2時間6分38秒という好タイム。しかも、マラソンでは最も苦しい37キロから、強い向かい風を受けながら、40キロ過ぎまで3人のケニアランナーが競りあい3人が6分台という、見ごたえのあるレースでした。 (坂口泰)
3月25日、東京でランニング学会が開催されました。テーマは「マラソンは芸術か」。
「マラソンは芸術だ」とは、私の恩師、中村清監督の持論でした。その教え子として、中村監督の目指した世界を語るということで、シンポジウムのパネリストとして参加しました。 (坂口泰)
高地トレーニングは,女子マラソン界では,高橋尚子,野口みずき選手をはじめとし広く取り入られ,トレーニング方法のスタンダードとして定着しています。ところが,日本男子マラソン界においては,積極的に取り組んでいる選手は少数派です。
男子でも高地トレーニングにトライしてこなかったわけではありません。しかし,成功例が少なく,効果的な方法が十分に検証されていないため,尻すぼみになることを繰り返してきたと言えるように思います。
以前は,高地トレーニングをできる場所が,コロラドを中心としたアメリカであったため,何回も行くことはできませんでした。勢い,せっかく行くのだからと,トレーニングスケジュールが過密となります。ところが,酸素濃度が薄い高地では疲労回復に時間がかかるうえ,高地順化のための負担がかかります。そのため,知らず知らずのうちに疲労がたまってしまうということが,失敗の主因の一つであると考えられています。ただ,高地への適応力は個人差が大きく,要因は複雑です。
びわ湖毎日マラソンに出場した佐藤敦之選手は,レース前,中国昆明市で高地トレーニングを行いました。今から考えれば,抑えていたつもりでも,結果的にトレーニングをやりすぎてしまい,自覚のない疲労が,からだの芯奥に蓄積していたことが途中棄権の原因だと思います。
今回は失敗しましたが,スポーツの挑戦は,未知の世界への挑戦でもあります。より最適な方法を探求し,2007年大阪世界陸上に出場できるよう,チャレンジしていきます。 (坂口泰)
トリノオリンピック、女子フィギュアスケートの素晴らしさはあえて述べるまでもありません。今大会、その他の競技で、予想外の健闘が注目を集めた競技のひとつは、女子カーリングではなかったでしょうか。
代表の小野寺歩、林弓枝選手は、オホーツク沿岸、サロマ湖近くの町、ホタテの産地として有名な常呂(ところ)町出身です。彼女たちが常呂町でつくり上げた、ソルトレークシティーオリンピック代表チーム「シムソンズ」は、映画にもなり現在公開中です。
私にとって常呂町は、学生時代、初めて北海道合宿に行った町です。その後の選手時代、そして指導者になってからも毎年合宿でお世話になっている、古里といっていい町です。彼女たちとの面識はないのですが、いつも宿泊する旅館にシムソンズのポスターが飾ってあるため、廊下を行き来するたびに身近な存在に感じられるようになり、知り合いのような気持ちで応援していました。
シムソンズはソルトレークで惨敗しました。その後、チームは解散、二人が活動拠点を求めて青森に行ったと聞いたときは、寂しい気持ちがしたものでした。
その彼女たちがここまで来ることができたのは、どんなことがあっても、カーリングが好きだから、もっと上手になりたい、もっと強くなりたい、オリンピックという最高の舞台で最高の力を出したい。そんな純粋な気持ちを、どんな時でも心の奥底に持ち続けたからこそと思います。
常呂生まれのカーリング娘たちは、もっともっと広い世界で活躍していってくれることでしょう。 (坂口泰)
沖野選手が4回目のマラソンで、メジャー大会初入賞を果たしました。
過去3回のレースはいずれも、30キロ以降スタミナ切れをおこし、ふらふらになってのゴールでした。これは、エネルギーとなる糖質が消費され、枯渇してくることにより起こります。30キロからがマラソンといわれるのも、この現象と関係しています。症状は、眠くなる、お腹がすいてたまらない、目から星が飛ぶ等、人それぞれですが、もう2度と走りたくないと思うくらい苦しいものです。これを何回も繰り返せば、恐怖心も湧くし、何度やってもだめだと思ってしまうものです。
しかし、沖野選手は、自分を生かせるのはマラソンしかないと、自分自身で課題を設定し、少しずつ克服してきました。その努力が今回の結果につながりました。決して目立ちはしないけれど、コツコツと前向きに努力する人が組織にとってとても大切なのは、なにもスポーツの世界に限ったことではないでしょう。 (坂口泰)
ひろしま男子駅伝は今年で11回目を迎え,広島の新春の風物詩として定着してきたな,との感を持ちました。というのも,以前は,「○○県がんばれ-」という応援が多かったように思うのですが,最近は「○○ガンバレー」と,選手の名前をよく聞くようになった気がするからです。
広島にきて,自分の名前を呼んでくれる人がいれば,オヤッと嬉しい意外感がある。選手は,「○○県ガンバレ-」でも十分嬉しいのですが,名前で応援されるほうがもっと嬉しいものです。
名前での応援が増えてきたのは,ひろしま男子駅伝を見る目が変わってきたことを意味しているのでしょう。最初は,広島に突然現れた大イベントのアウトラインに目が向かっていた。それが,回を重ねるにしたがい,レースの中身に目が向くようになった。そして,観客のレースを見る目が肥えてきたということだと思うのです。
「ひろしま男子駅伝が選手を育てる」から,「ひろしまが選手を育てる」へ。ひろしま男子駅伝は,着実に広島の町に定着してきているようです。 (坂口泰)
あけましておめでとうございます。
元旦,現地で,あるいはテレビの前で応援していただいた皆さま,ありがとうございました。 本当に厳しい戦いでした。
1,2区での出遅れはある程度覚悟していましたが,コニカミノルタの1,2区は,予想以上の快走でした。さらに,日本人選手のみのチームにとって,世界トップクラスの外国人ランナーが集中する3区は,まさに,サドンデス区間。しかし,ニューイヤーデビュー戦となる黒田選手が,区間順位日本人トップで踏ん張り,追い上げのきっかけをつくりました。4区尾方選手,5区油谷選手は世界の走りで優勝への希望をつなぎました。そして,最後まで「優勝するんだ」という全メンバーの気持ちをタスキでつなぎました。
優勝は逃したものの,渾身のレースでした。 (坂口泰)
12回目の挑戦で初優勝した2004年,2連覇に挑んだもののアンカー勝負で敗れた2005年。
今回の目標は優勝です。ただし,容易なことだとは思っていません。コニカミノルタが実力では,一つ抜けています。その上,止まることのない外国人ランナーの増加,それぞれのチームでのチーム力の底上げ。ちょっと失敗すれば,10位,15位はあたりまえ,というのが今の駅伝です。
全員の気持ちを一本のたすきでつなぎ,少ない可能性に挑みます。 (坂口泰)
今年も1年を振り返る頃となりました。なんといっても,今年一番大きな出来事は,世界陸上ヘルシンキ大会において,尾方剛選手が悲願の銅メダルを獲得したことです。このヘルシンキでの快走を支えてくれたのが,一杯のスープでした。
尾方選手には,練習で疲れたときや,レース前に飲むスープがあります。鶏肉,ショウガ,ネギ,ニンニクなどが入った,おなかにやさしく,身体が温まって,元気が出るスープです。TBSの土居アナウンサーが取材に来られたときにその話になり,ヘルシンキでも作ってもらえるよう土居さんから日本料理店にお願いしていただくことになりました。
そのお店は,花沢さんご夫妻(20代の美男美女カップル)が経営する「蓮」というお店でした。レース前3日間通い,そこでいただいたスープは,とても心のこもった美味しいものでした。
レース後,テレビ出演,応援団との食事会を終え,花束が2つ(個人銅メダル,団体金メダル)あるうちの一つを,お礼のため「蓮」に贈ろうということになりました。というのも,「世界レベルの選手に食事をつくることは,とても責任が大きすぎてできない」と一度は断られたのを,重ねてお願いし,ひきうけていただいたのだと聞いていて,軽軽しく頼んでしまったことを申し訳なく思ってもいたからです。
お店には,奥様だけがおられました。顔を見るなり「私感動して・・・・」それからは涙で言葉がありませんでした。相当なプレッシャーがあったのでしょう。その涙は,銅メダルとともに一生忘れられないヘルシンキの思い出となりました。 (坂口泰)
駅伝で勝つための鉄則は,先行逃げ切りです。 しかし,中国実業団駅伝では,1区から大きく遅れ,ちょうど中間距離の4区が終わった時点で,首位カネボウから2分近く(約700m)離されてしまいました。この差は本来致命的です。なぜなら,先頭を追おうと思っても,前がまったく見えないため,追いつこうとする意欲が半減してしまうからです。ところが,後半あきらめることなく,6区尾崎選手が中継地点手前で逆転,アンカー内冨選手が逆に2分近い差に広げ,9連覇のテープを切りました。 決してあきらめない,というレース展開に,ニューイヤー駅伝への手応えを感じました。 (坂口泰)
こんにちは。中国電力陸上競技部の坂口です。 今年も紅葉とともに,駅伝シーズンがやってきました。 木々が季節の変化を感じ取るように,ランナーも肌に受ける風の変化に,駅伝シーズン独特の緊張感の高まりを感じます。 タスキをつなぐ責任感,これは大変なプレッシャーです。でも,それを跳ね除け,みんなでやってやろうという気持ちが,タスキを通して一つにつながったとき,何倍もの喜びが生まれます。 そんな,会心のレースができるよう,来たるシーズンに挑んでいきたいと思います。 (坂口泰)