今回は,尾方剛(おがた つよし)選手と佐藤敦之(さとう あつし)選手に,北京オリンピック男子マラソン代表権を獲得した翌日にインタビューしました。
−−オリンピック代表権獲得,おめでとうございます。昨日はどんな一日でしたか?
今回は,新たに中国電力陸上競技部に入部した岡本直己(おかもとなおき)選手と藤森憲秀(ふじもりのりひで)選手にインタビューしました。
−−まずは,陸上競技との出会いを教えてください。
今回は,8月の大阪世界陸上に出場する尾方剛(おがた つよし)選手にインタビューしました。
−−春のトラックシーズン,お疲れ様でした。大阪世界陸上に向けて,現在の仕上がりはいかがですか?
今回は,2月4日の別府大分毎日マラソンでラストランを終えられた内冨恭則(うちとみ やすのり)選手にお話をうかがいました。
−−ラストランはいかがでしたか? 山口駅伝,そして別府大分毎日マラソンを走られた感想,今の心境など聞かせてください。
今回は,2月4日の別府大分毎日マラソンを走り終えた佐藤敦之(さとう あつし)選手にお話をうかがいました。
−−別大マラソン,お疲れさまでした。今回のレースを振り返って,いかがでしたか?
今回は,2月4日の別府大分毎日マラソンでラストランを迎える内冨恭則(うちとみ やすのり)選手にインタビューしました。
−−2月4日,ラストランとうかがいました。今の心境をきかせてください。これまで内冨選手は3,000m障害や駅伝をメインに走ってこられたと思いますが,ラストランにマラソンを選ばれたのはなぜですか?
今回は,元旦のニューイヤー駅伝で5区を走り,区間賞を受賞した佐藤敦之(さとう あつし)選手にお話をうかがいました。
−− このたびはニューイヤー駅伝優勝おめでとうございます。佐藤選手は今回,5区を走られましたが,タスキを受けられた時にはトップとは2分17秒差で7位。走る前,どんなことを考えておられましたか?
今回は,12月17日,マラソンのラストランとなる防府読売マラソンを終えられた五十嵐範暁(いがらし のりあき)選手にお話をうかがいました。
−− ラストランはいかがでしたか? 走り終えての心境などを聞かせてください。
今回は,12月3日の福岡国際マラソンを走り終えた尾方剛(おがた つよし)選手にインタビューしました。
−−福岡国際マラソン,お疲れさまでした。今回のレースを振り返って,いかがでしたか?
インタビュー4回目の今回は,12月17日の防府読売マラソンでラストランを迎える五十嵐範暁(いがらし のりあき)選手にお話をうかがいました。
−−いよいよ12月17日,マラソンのラストランとなりますね。今の心境をきかせてください。
3回目の今回は,坂口監督にインタビューしました。
−−まもなく中国実業団駅伝,そしてニューイヤー駅伝ですね。駅伝に向けての監督の思いや,今回の目標などを聞かせてください。
2回目の今回は,11月18日の中国実業団駅伝で6区を走り,区間賞と大会MVPを受賞した尾崎輝人選手にインタビューしました。
−−このたびは中国実業団駅伝9連覇,おめでとうございます。 尾崎さんは今回,最長区間の6区を走られましたが,タスキを受けられたときには2位。正直,あそこからの逆転は難しいのかと思っていました。走る前,どんなことを考えておられましたか?
これまでは1区を走ることが多かったのですが,今回は久しぶりにつなぎの区間,しかも最長区間を任されました。自分のところにタスキがくるまでに多少負けてくるかもしれないとは思っていたのですが,予想より大きな開きだったので,正直,若干戸惑いというか不安はありました。ただ,アンカーが内冨さんだったこともあり,(1位から)1分以内の差で内冨さんにタスキをわたせたら優勝できると思っていました。アンカーが安定感があり信頼できる内冨さんだったことは心強く,僕はぼちぼち詰めていこうという気持ちで気楽に走れました。
第1回目の今回は坂口監督にインタビューしました。
−−陸上競技部は今年で創部17年目を迎えました。監督が陸上の指導にあたられて,あるいは選手と接しておられる中で,この間に変わったこと,逆に変わらないことは何でしょう?
変わったのは「チーム力」だと思います。選手の意識も変わり,世界に挑戦する選手も出てきました。
−−今,世界で闘う選手たちも出てきているわけですが,監督は,当初から彼らがいつかはそのようになるだろうというイメージを持たれていたのですか? 何か転機のようなものがあったのでしょうか?
うちのチームは,それぞれの段階で一つひとつ目標を達成して,階段をあがるように一歩ずつあがってきたチームだと思います。 はじめから選手たちが今のようになると思っていたわけではありません。ただ,例えば油谷選手にしても,尾方選手にしても,「絶対負けない」という強い気持ちを持っていました。油谷選手は,2000年の初マラソンのときから,マラソンに向いていると感じていました。